地球の温暖化、常識のわな

我が家のチューリップ

 今月号の文芸春秋を読んでいて、武田邦彦氏(中部大学総合工学研究助教授)の「『不都合な真実 主犯は米国だ』という記事を見つけ、衝撃を受けました。

 今世間では地球温暖化を危惧する声が高く、その分かりやすい例が、『温暖化によって極地の氷が溶けて水面が上昇し、現在の海岸沿いの都市は壊滅的な被害を受ける』という主張です。

 これに対して、武田氏はこう反論しています。

 北極の氷は、海中の水分が凍ってその一部が海面上に盛り上がったものである。従ってこれが溶けても、海面は元の水準に戻るだけで、上昇も下降もしない。

 皆さんも中学一年の時にアレキメデスの原理を習ったであろう。氷を入れたコップに、コップの縁一杯まで水を入れて放置しておいたらどうなるか。時間がたつにつれて氷は溶けるが、水は一滴もコップから溢れなることはない。水が氷になると比重が軽くなり、その分だけ水面上に頭を出すが、溶ければ元の水に戻って水面上の部分が無くなるだけのことで、水面の高さに変化が生じることはないのだ。

 南極の氷については、確かに温暖化によって溶ける量が増える。しかし一方では、温暖化によって全世界の海面からの水分蒸発量が増える。これは海面の低下要因であり、また空気中の水蒸気が過剰になれば、それは熱帯、温帯においては雨量の増加となり、寒帯では降雪量の増加となって現れる。南極では一方では氷河の海側では溶けるのが早まるが、それと同時に氷河の元となる大陸内部の降雪量は増大していく。

 つまり温暖化は、地球全体で見れば複雑多岐に絡み合ってその影響が出てくるもので、温暖化が進めば当然海水面が上昇するといったような、単純なものではないというのです。

私も技術屋の端くれですから、中学一年の時に習ったアレキメデスの原理を忘れたのかという指摘は、胸に応えました。地球温暖化という重大な課題には、ヒステリックに声高に叫んでも百害あって一利なしで、こうした本質を突いた意見には、大いに耳を傾けたいものです。

地球温暖化(1)

八ヶ岳

 京都議定書によれば、日本は2012年までに1990年比で温室効果ガスを6%削減することが義務付けられています。

 しかし現実には、日本の温室効果ガスの排出量は、1990年から現在まで一貫して増え続けてきています。従って期限があと5年後に迫った今となっては、目標達成は極めて厳しい状況と言わざるを得ません。

 しかし最近、あるテレビ番組を見て、前途に一抹の希望が見えた気がしました。それは6月3日にTBS系で放映された『夢の扉』で、森幸一氏の活躍を知ったからです。

 森氏は愛知県名古屋市にある電気設備業の会社の社長ですが、いまや省エネのプロとして、あちこちから引っ張りだこになっている方です。その森氏の信念は、『快適さを犠牲にするような省エネは、絶対に長続きしない』ということで、それでは森氏が推進する省エネ活動を、いくつか紹介してみましょう。

 オフィスの照明などに、カバーの下に40Wの長い蛍光灯が二本並んでいる器具がよく使われていますね。蛍光灯の光はもちろん360度の全方向に出ていますが、半分より上に向かって放射される光は、カバーを照らしているだけで、照明としてはまったく機能していません。

 そこで森氏のアイディアは、カバーに反射板を取り付けて、カバーが受けた光を下向きに反射させるようにするのです。こうすると蛍光灯の下での照度は2倍になりますから、2本の蛍光灯は1本で済むことになります。こうして照明に掛かる電気代は、一気に半減することになるのですよ。

 またエアコンを使っている時、暖かい空気は上に、冷たい空気は下へたまりますから、たとえば24度に設定した時でも、床面は22度、顔の高さで24度、天井で26度といった温度分布になっています。エアコンは天井近くに設置されているので、エアコンに内蔵されている温度センサーは、当然天井近くの空気温度を測定しているわけです。つまり人間にとっては、既に十分快適な温度になっているのに、エアコンはまだまだ設定温度には達していないと判断して、フル回転を続けることになります。

 そこで社長の考案した、床から天井に向けて風を送る扇風機が登場します。これを使うと室内の空気が攪拌されて、床面も天井も24度になり、当然エアコンは停止することになります。つまり、設定温度を2度上げたのと同じ省エネ効果が得られるのです。しかも室内にいる人間の快適さは、まったく損なわれていません。

 世界中のエアコンの設定温度を2度上げられたら、電力消費がどれだけ節約できるか、ひいては温暖化の元凶である二酸化炭素の排出量をどれだけ節減できるか、考えただけでも胸がわくわくしてきませんか。

 番組の中で、熊本県のあるショッピングモールが、空調費の削減を森氏に依頼したケースを紹介していました。この場合は、常時廻っている冷却水用のポンプを、必要な時だけ稼動するようにセンサーを設置し、これに伴う電気回路の改造を行うだけで、電気代が月間200万円も削減できたそうです。日本全国にあるショッピングモールの数は、100や200ではきかないでしょうが、200としても月間4億円、年間48億円もの電力が削減されるのですよ。
 
このように、森氏の着眼点は大きいものから小さいものまで、まさに無限に広がっていくのです。しかも、現在の快適さはまったく損なわれていません。

 また森氏は大学と共同してLED(発光ダイオード)による一般照明の実用化にも力を入れており、これが商品化できれば、家庭でも職場でも、長寿命で消費電力が蛍光灯の数分の一という照明の恩恵に浴することになるのです。

 森氏は省エネのコンサルタントとして全国を飛び回っていますが、そのコンサル料金は、森氏のアイディアで節減できた電気料金の一定割合を受け取るという成功報酬方式なので、依頼した企業にとっては費用が持ち出しになる心配はまったくありません。

 番組の最後に、毎週恒例の『マイノート』にその週の登場者が自分の抱負を書き込むシーンがあります。森氏の抱負は、以下の通りでした。

『究極の省エネで、地球温暖化を救いたい』

 番組を見終わっての感想は、こういう方は、まさに日本の宝だということです。国が大々的に支援して全国規模の活動に発展させ、日本が京都議定書の目標達成一番乗りという快挙に、是非つなげていってもらいたいものです。

地球温暖化(2)

北公園4

 地球温暖化の原因のうち大きなものは二酸化炭素(CO2)ですが、全世界の排出量の実に30.3%をアメリカ一国で占めています。従ってアメリカが率先して削減に動かなければどうにもならないのに、現実にはアメリカは京都議定書を離脱してしまい、世界先進国の動きに背を向けた格好のままです。

 これは温暖化ガスの削減という儲けにつながらない設備投資を嫌う産業界と、エネルギーの大量消費による快適な生活の規制を国民に強いることへの反発を恐れる政府の思惑が、一致した結果でしょう。しかし私にはこうした動きが、1970年代の排気ガス規制を巡るアメリカの自動車産業と、米国政府の動きに重なって見えて仕方がありません。

 60年代の後半には、自動車排気ガスによる大気汚染は、特に都市部では無視できないレベルに達していました。そこで70年12月、アメリカの上院議員、エドモンド・マスキーは、後に彼の名にちなんでマスキー法と呼ばれることになる自動車の排気ガス規制法案を提案します。

 その内容は、『一酸化炭素(CO)、炭化水素(HC)については、75年型から現在の70−71年型に比較して10分の1以下に、窒素酸化物(NOX)については76年型から同じく10分の1以下にする。これを達成しない自動車は、期限以降の販売を認めない』という、まことに過激なものでした。

 当時全盛だったビッグ3(GM、フォード、クライスラー)は、これに対して「技術的にできるわけがない」、「たとえできても、クルマの値段は倍以上になるだろう。そんなクルマを一体誰が買うのか」と猛反発をします。ヨーロッパや日本のメーカーも、目標の高さに驚きながらも、「アメリカでは、挑戦的な目標を議会や政府が打ち出すのはよくあることで、それから産業界とすり合わせを行って、妥当な数値に収めることが多い。これから米国政府と自動車業界との折衝の中で、どの辺が落としどころになるのか、推移を見守りたい」として、静観を決め込むところがほとんどでした。

 しかしこの時、世界の自動車業界でただ一人、「これこそ神が与えてくれたビジネス・チャンスだ」と叫んで立ち上がった男がいました。それは、ホンダ(正式な企業名は本田技研工業ですが、この記事では正式な略称であるホンダで通します)の創業者である本田宗一郎氏です。ちなみに当時のホンダはオートバイの世界でこそトップメーカーでしたが、四輪の世界には7年前に参入したばかりの最後発の弱小メーカーでした。彼はマスキー方の内容を知ると、すぐに技術者達を集めてこう宣言しました。

「クルマはヨーロッパで生まれて、アメリカで発展してきた。従ってクルマに関するすべての技術は欧米が発祥で、日本は残念ながら彼らの物真似をしてクルマを作ってきたというのが、正直なところだ。
 ホンダがS600(63年に発売した排気量600CCのスポーツカー)を発表して4綸の世界に参入してから7年になるが、どうやったら世界に伍して戦っていけるのか、これまでは暗中模索を続けてきた。

 しかし思いもかけないところから、絶好のチャンスが巡ってきた。今度の排気ガス規制は突然降って湧いた技術課題で、世界のどこにも先行しているメーカーがない。つまり、世界中のメーカーが横一線に並んで、これから「よーい、ドン」のスタートを切るのだ。低公害エンジンの開発でホンダが先陣を切れば、その瞬間にホンダはこの分野での世界一のメーカーになれるのだぞ。そうなれば、それを切り口に胸を張って世界に進出していける。

 これこそ、神が与えてくれたビッグ・チャンスでなくてなんだ。みんな、世界一を目指して頑張ろうじゃないか!」

 もともと本田宗一郎氏の口癖は、「他人(ひと)にできることは、他人にやらせろ。ホンダは他人にできないことをやるんだ」でした。そうした氏の薫陶を受けて育った技術者達は、オヤジ(彼らは本田氏を親愛の気持をこめてこう呼んでいました)の宣言を受けて奮い立ちます。こうしてホンダはその日から、低公害エンジンの開発に全社を挙げて取り組んでいくことになりました。

 排気ガス対策には、二つのアプローチがあります。一つは、エンジン内での燃料の燃焼方法に工夫を凝らして有害ガスの発生を抑えるもので、これを前処理と呼びます。もう一つはマフラーの中に触媒を設けて、排気ガスが触媒に触れることで有害ガスを完全燃焼させるもので、これを後処理と呼びます。

 前処理だけでマスキー法に対応できればもちろんそれが一番いいのですが、生憎なことに一酸化炭素、炭化水素、窒素酸化物の間には、こちらを減らせばあちらが増えるというトレード・オフの関係があります。従って前処理に最善の努力をするのは当然としても、抑え切れない有害ガスについては、後処理を併用するのが現実的だと考えられていました。しかし当時最も性能のよい触媒はプラチナを用いたもので、プラチナはきわめて高価な貴金属ですからコストが高く、しかも耐久性に乏しくてすぐに性能が劣化してしまうという欠点がありました。つまり、前処理にも後処理にも大きな問題を抱えているのが、排気ガス対策の実現性が疑問視される理由となっていたのです。

 しかしホンダは、早い時期から前処理一本で行くことに方針を定めます。そして燃焼室に副燃焼室を設けるリーンバーン(希薄燃焼)方式の開発に成功し、73年にはこれをCVCCエンジンとして実用化しました。そして早くもその年の12月には、このCVCCエンジンを搭載したシビックの発売に踏み切ります。

 このことは、世界の自動車メーカーに衝撃を与えました。というのは、実験室で規制値をクリヤーするのと、市販エンジンとして大量生産するのでは、レベルが違う話だからです。実験室では最良の条件を整えた上で、ぎりぎりで規制値を下回ればそれで成功なのですが、大量生産するとなると、品質のばらつきを考慮しなければなりません。マスキー法の規制とは、生産エンジンの平均値で達成すればよいのではなく、規制値を上回ったエンジンは1機も販売することができないのです。

 品質のばらつきの上限でも規制値をクリヤーさせるためには、全生産エンジンの平均値が規制値の半分以下でなければならないというのが、技術者の常識です。つまりホンダのCVCCエンジンは、マスキー法の規制値の半分以下の有害ガスしか出さないという、驚異的な性能を持っていることになるのです。

 シビックの発売と前後して、ホンダはCVCCエンジンをアメリカに送り、議会で公開してみせます。
 マスキー法の規制には技術的に対応可能である、国民の健康を考えるのであれば、一日も早いマスキー法の実施が望ましいという、強烈なアピールをしたわけです。

 ビッグ3の首脳達も内心では当惑したに違いありませんが、公式のコメントは、「あんな小手先の技術では、日本の小さなエンジンには対応できても、アメリカ車のような大型のエンジンには対応できる筈がない」というものでした。これに対して、ホンダはその数ヵ月後に、アメリカ車に積まれているような大排気量のCVCCエンジンをアメリカで公開し、CVCCエンジンならば排気量に関係なくマスキー法をクリヤーできることを実証してみせます。

 これに対してビッグ3がとった対応策は、信じられないものでした。彼らは豊富な資金量に物を言わせて強引なロビイスト活動を行い、75年にはマスキー法そのものを廃案に追いやってしまったのです。

 ダチョウは敵に出会うと、穴に頭を突っ込んで難を逃れようとするそうです。自分に相手が見えなければ、相手にも自分が見えないだろうという浅はかな思い込みなのだといいます。

 ビッグ3の対応も、このダチョウと同じことではないでしょうか。マスキー法を廃案にすることで当面の危機は回避できても、マスキー法の背景にあるクルマの排気ガスによる健康被害は年を追って増大していき、いずれは今よりもはるかに大きな付けが回ってくるのは確実なのですから。

 この点、日本の反応は違いました。国内のメーカーであるホンダがマスキー法対応済みである以上、他のメーカーはやらなくてもいいとは政府もとても言えません。また日本でも東京・大原交差点に代表される排気ガスによる大気汚染が深刻化してきていて、世間では「自社技術で対応できないメーカーは、ホンダからエンジンを買えばよい」という声が日に日に強くなる状況でした。

 こうした世論に押されて、政府は他のメーカーにもホンダと同じ開発期間を与えるために、78年からの排気ガス規制(マスキー法と同じ内容)を実施することを決定します。トヨタや日産のようにエンジンの種類が多い大メーカーは、開発工数が膨大になるとして難色を示しましたが、これもやがて世論には逆らえなくなり、全メーカーはこぞって排気ガス対策に全力投球をすることに踏み切りました。

 エンジンはその会社の技術力を象徴するものですから、自社開発できなければホンダから買えばいいなどとは、大会社の面子に掛けても口が裂けても言えません。こうして各社の血の滲むような開発競争が始まりました。私も当時は自動車会社に在籍していましたが、低公害エンジンの開発に成功した時には社内に緊急放送が流れて、みんなで立って拍手をしたのをよく覚えています。

 そして78年の排気ガス規制の施行当日には、全メーカーとも独自技術による様々な方式による低公害エンジンの発売に漕ぎ着けました。もっともこの時は開発期間があまりにも短かったために、排気ガス対策に絞って技術開発を進めた結果、会社によっては燃費が悪化したり、出力が低下して走行性能が落ちる等の問題がありましたが、それも2、3年のうちには改善されて、排気ガス規制以前と比べても遜色のないレベルにまで回復できました。

 また、この開発の途中で思わぬ副産物も生まれました。当時のガソリンは有鉛ガソリンと呼ばれるもので、エンジン内部の減磨耗剤として鉛が添加されていたのです。ところがこの鉛が触媒の耐久性に大きな悪影響を及ぼすことが分かってきました。そこで各メーカーおよび部品メーカーは、鉛がなくても耐久性が劣らない素材の開発に取り組み、これに成功します。こうして日本は、世界に先駆けて無鉛ガソリンの採用に踏み切ることができました。
 鉛はもちろん人体に有毒な金属ですから、ガソリンの無鉛化は、触媒の実用化に目途をつけたばかりではなく、人間の健康という面でも大きな貢献をしたことになります。

 規制実施前後の数年間に膨大な人的資源を投入して開発に取り組んだ結果、日本は排気ガス対策技術については世界のトップに躍り出ます。またこの時期に燃料の燃焼についての研究を基礎からしっかりと積み上げたことが、80年代のエンジンの電子制御化とあいまって、空燃比(燃焼室内における燃料と空気の比率)や点火タイミングをエンジンの負荷に応じて自動的に最適な条件に設定できることにつながり、エンジンの高出力、低燃費に拍車がかります。70年頃に比べると、衝突安全対策などによってクルマの重量はかなり増加していますが、燃費はむしろよくなっているのはそのためです。

 ちなみに、アメリカでマスキー法レベルの排気ガス規制が実施されたのは1995年からです。マスキー法の提案から25年後、日本の規制実施から17年後のことでした。

 70年代には、クルマの量産技術、品質管理では既に日本は世界のトップにいました。それに加えて排気ガス技術、エンジン技術といったいくつもの柱が確立したことで、90年以降は日本の各メーカーは世界に向かって飛躍していきます。

 70年当時は、アメリカ市場はビッグ3の金城湯池で、日本のメーカーはそのおこぼれにあずかっているだけの存在でした。それがこの2007年上期の実績では、ビッグ3の販売シェアは50.2%にまで落ち込み、下期には50%を割るのは確実といわれています。

 日米の差は、営業収益で見るとさらにはっきりします。2006年度のトヨタの営業利益は2兆円、ホンダは8,500億円、日産は7,700億円なのに対して、GM、フォードは毎年莫大な赤字続きで大規模なリストラに追い込まれており、クライスラーは一時はベンツと合併しましたが、慢性的な赤字にベンツも嫌気が差して投資会社のサーベラスに売却しててしまい、サーベラスは新たな買い手を捜していますが、どこも手を出すところがないといった悲惨な状況です。
 本田宗一郎氏がいみじくも予言したように、『排気ガスを制するものは、世界を制する』ことになったのです。

 それにしても、個人、それも民間の一企業の社長の決断がこれ程までに劇的に世界全体を動かしたかと思うと、呆然たる思いがします。もしあの時本田氏が、「排気ガス規制こそは、神が与えてくれたビジネス・チャンスだ」と叫んで立ち上がらなければ、世界の排気ガス規制は確実に十年は遅れていたでしょう。そして現在のような日本の自動車業界の躍進も、おそらくはなかったに違いありません。

 あの時、ビッグ3は排気ガス規制に背を向け、議会を動かしてマスキー法を廃案に追い込みました。その結果が、現在の惨状になって現われています。
 そして今、アメリカの産業界は議会を動かして京都議定書からの離脱に踏み切りました。巨大ハリケーンの襲来、巨大竜巻の発生など、いくつもの危険な兆候が既に現れているというのにです。
 その結果は、20年後、30年後には明らかになるでしょうが、私にはもう今からはっきりと見えているとしか思えません。困難な課題に真正面から立ち向かった者は栄光を手に入れますが、困難に背を向けた者には明日は無いのです。

 地球温暖化は、確かに深刻な問題です。しかし私は、今回も誰かが、「地球温暖化こそは、神が与えてくれた最大のビジネス・チャンスだ!」と叫んで立ち上がることを信じています。そしてそれが日本人であることを、切に祈ってやみません。

ライトアップの功罪

宮ヶ瀬

 最近はどこでもライトアップやイルミネーションが盛んに行われていますが、私も12/19に神奈川県愛川町にある宮ヶ瀬湖に行ってみました。ここは12/1から25日まで、17時になると20万個のイルミネーションが点灯されます。由美と私は16時50分に会場に着きましたが、既に何百人もの観光客が湖畔の広場に溢れていました。

 やがて定刻になると、その瞬間に目の前に樹齢90年、高さ32メートルのモミの木が、巨大なクリスマス・ツリーとなって闇の中に浮び上がります。同時に背後の大階段やそれを登ったところにある広場にも一斉に灯がともって、幻想的な美しさでした。
 今日の写真は大階段を登る途中で撮ったものですが、クリスマス・ツリーの前にある白くて細長いものは、公園内を走るロード・トレイン『ミーヤ号』の電飾で、左手は大階段に設置されている光のトンネルです。

 階段を上り詰めたところにある広場には、もともとあるお土産屋やレストランはもちろん、このイベント用の露店もたくさん出ていて、おいしそうな匂いが漂う中を観光客が込み合って行き来していました。私は甘酒、由美はお汁粉を注文しましたが、寒さに震えながら飲む甘酒は咽喉に染みとおる程に美味でありました。

 宮ヶ瀬湖は、2000年12月に完成した宮ヶ瀬ダムによって出現した総貯水量2億トンに達する大きな湖ですが、水没した土地に住んでいた地元の人達の努力で、今では観光地として大きく発展しているのは、まことに喜ばしいことだと思います。

 21日には『三枝・小朝の夢の二人会』を聴くために日比谷公会堂に出向きましたが、途中通りかかった日比谷公園には高さ42メートルの巨大なクリスマス・ツリーが飾られ、あちこちに眩いイルミネーションが輝き、いくつものサーチライトが空を照らして動き回り、まことに華やかな会場が設営されていました。何かのイベントが行われている最中で、公会堂側には舞台が組まれ、その前には大勢の観客が詰め掛けています。

 その横を通り過ぎようとした私は、たまたま耳に飛び込んできた女性司会者の言葉に、思わず耳を疑ってしまいました。今日のイベントは、『地球の温暖化を考える』がテーマだというのです。しかしこうした光の氾濫こそが大きなエネルギーの消費であり、ひいては地球の温暖化に繋がっていくものではありませんか。

 私は、ライトアップされた光景や大掛かりなイルミネーションを見るのが大好きなのですが、最近では楽しむ気持の裏側で、こんなことをしていていいのだろうかという思いが募ってなりません。近頃はクリスマスの季節ともなると、個人の住宅でも華やかなイルミネーションで飾りたてているのをよく見掛けます。中には通りの家々が派手な演出を競いあい、それを見るために大勢の見物客がクルマで押しかけてきて、静かな住環境が破壊されるというケースまで見られるようです。

 京都議定書の目標によれば、日本は2014年までに二酸化炭素の排出量を1990年比で6%削減しなければなりませんが、現在のところは削減どころか7%も増加しているのが実情です。それも日本の産業界は世界の優等生で、省エネにかけてはトップレベルにあります。問題は、一般家庭でのエネルギー消費が天井知らずに伸びていることでしょう。

 石油価格がさらに上昇し、しかも地球の温暖化がますます深刻化するとすれば、我々の身の回りにある一つ一つの事柄を、そうした視点から見直さなければならない時期が来ていると思います。ライトアップやイルミネーションが見られなくなるのはまことに残念ですが、そうしたささやかな贅沢さえ、許されない日が迫っているのではないでしょうか。



ハナミズキの紅葉

花水木
   我が家のハナミズキ

 トップの写真は、今日の昼頃に撮影した我が家のハナミズキです。この木は毎年11月から12月にかけて紅葉して、遅くても年内には散ってしまうのが普通です。ところがこの冬は昨年中には紅葉もせず、このところの寒さでようやく葉が赤く色付いてきました。

 その一方では、近所の遊歩道では、つつじがあちこちで一杯に花を咲かせています。数日前には、アイリスが1輪咲いているのを見つけました。秋の終わりと春の初めが同居しているようで、何となく気味が悪いような気がします。地球温暖化の影響が、こんなところにも現れているのでしょうか。

地球温暖化(6)

北公園5
   北公園のアジサイ(神奈川県相模原市)

 地球温暖化の対策として、二酸化炭素(CO2)の削減が急務となっています。そしてその切り札の1つが、水素エンジン自動車、電気自動車の実現だという声が世間では強くなっているようです。

 たしかに、電気自動車は排気ガスを出しませんし、水素エンジンの排気ガスは水蒸気だけですから、これだけをみれば理想の解決策のように思われます。しかし、それらを可能とする元のエネルギーにまで、考えが及んでいるのでしょうか。

 まず、電気自動車を採り上げてみます。電気自動車を動かすには充電するための電気が必要ですが、その電気を作るには水力、原子力、火力の3つの方法があります。そのうち水力については、残念ながら日本国内にはもう適地に乏しく、大量の増設はまず望みがありません。
 そもそも日本は地形が急峻なために、大規模なダムを作ってもその割に貯水量は少ないという問題を抱えています。以前に聞いた話では、日本のすべてのダムの貯水量を合計しても、アメリカのフーバー・ダム1つのそれに及ばないということです。

 次は原子力ですが、日本が地震国であること、現在の国民の間に原子力アレルギーが激しいことを考えると、なかなか大幅な増設には踏み切れないと思われます。

 すると残るのは火力しかありませんが、火力発電のエネルギー効率は40%強で、これに送電ロス、充電ロス等を加えていくと、ガソリンを燃やして走る現在のガソリン・エンジン方式と、二酸化炭素の排出量ではほとんど差がありません。つまりは、電気自動車は二酸化炭素削減の手段にはならないのです。

 次に水素エンジンですが、これも燃料となる水素を大量に得るには、水を電気分解するしかないと思われます。しかし電気分解するためには電力が必要なわけで、その電気は火力発電によるしかないというのは、前述した通りです。つまり、ここでも大量の二酸化炭素の発生は避けられません。

 すべての家屋の屋根に太陽光発電のパネルを設置して、自分の家に必要な電力は自給自足するような政策を強力に推し進めない限りは、水素エンジン、電気自動車ともに、まことに残念ながら、クルマ社会が抱える問題の解決手段にはなりえないのが、実状ではないでしょうか。




地球温暖化(7)

薬師池
  薬師池のアヤメ(東京都町田市)

 先日NHKの『クローズアップ現代』を見ていたら、鉄鋼メーカーに於ける炭酸ガス(CO2……この2はOの右下に小さく付けるべきなのですが、ブログ上ではそうした表記ができないようです。以下も同様に表記しますので、まことにお手数ながら読者の方で補完してご理解ください)の削減について、大変画期的なアプローチが進んでいることが報告されていました。

 鉄鋼メーカーでは、コークスと鉄鉱石を高炉に投入し、コークスに火をつけてから大量の空気を吹き込んでコークスを燃焼させ、その熱で鉄鉱石を溶かし、下の湯口から灼熱した鉄を取り出して様々な製品を作っていきます。そしてその過程で、大量の窒素酸化物(NOx)と炭酸ガス(CO2)を発生させてしまいます。

 現在では地球温暖化の元凶としてCO2ばかりが注目されていますが、NOxは人体に有害な気体であり、しかも空気の約80%は窒素なのでその発生量も半端な量ではありません。
 番組の中で紹介されていたのは、2つの方法を併用することでそのNOxとCO2の両方の発生量を、ゼロにしてしまおうという技術なのです。

 まず、酸素燃焼法から説明します。現在は空気をそのまま高炉に吹き込んでいますが、コークスの燃焼に必要なのは酸素だけで、約80%を占める窒素は、窒素酸化物(NOx)を作るだけの有害無益な気体なのです。そこで空気から酸素だけを分離して、高炉に送り込もうというのが酸素燃焼法です。
 これが実現できれば、当然窒素酸化物(NOx)の発生はゼロになって、排出ガスは炭酸ガスだけになります。

 そしてその排出ガスをある吸収液に通すと、大量の炭酸ガスが吸着されて固定化されます。炭酸ガスはもちろん気体ですが、吸着されることで液体となるので、体積が数百分の一になるのがこの方法のミソなのです。こうして炭酸ガスを目一杯吸い込んだ吸収液を容器に入れ、地下の倉庫に格納してしまえば、従来は空気中に放出されていた炭酸ガスは、完全に地下に固定化されることになります。

 もちろんコストの問題や、地下の貯蔵の安全性など、今後の検討が急がれる課題はたくさんあります。しかし窒素酸化物(NOx)や炭酸ガス(CO2)をまったく発生しない製鉄方法の可能性が示されたことは、大変な朗報だと思われます。ましてやこの技術は、窒素酸化物(NOx)や炭酸ガス(CO2)を発生するすべての産業に応用可能なのですから。

 私が若い技術者だった頃、先輩に繰り返して叩き込まれた言葉があります。それは目標を設定する時には、10%減、20%減では駄目で、最低でも50%減、可能ならは100%減を目指さなければいけないということでした。それは10%減、20%の削減ならば現状の小改善で達成できますが、半減となると新しい技術の開発無しには絶対に達成できないからです。技術者であるからには、小改善ではなく、新技術の開発に取り組まなければ、技術者の看板が泣くという戒めなのでした。今回の2つの技術は、窒素酸化物(NOx)や炭酸ガス(CO2)を100%削減するという高い目標設定があったからこそ、実現されたに違いありません。

 地球温暖化対策がこうした画期的な技術の開発に繋がっていくならば、人類の将来もまんざら捨てたものでもないという希望が湧いてくる番組でした。



地球温暖化(8)

寺家公園
  寺家の青山亭(神奈川県川崎市)

 前回の記事で、窒素酸化物(NOx)と二酸化炭素(CO2)の排出をゼロにする技術が開発されつつあると書きました。実はあの番組を見ながら、30年近く前の第1次石油ショックの頃に、私が夢見ていたアイディアをふと思い出していたのです。

 石油は様々な炭化水素の混合物(僅かに硫黄や窒素などが含まれていますが、これは不純物なのでここでは省きます)で、精製の過程でメタン(CH4)、エチレンH2C=CH2)、ベンゼン(C6H6)などが分離されます。従って、炭素(C)と水素(H2)を大量かつ安価に手に入れることができれば、石油に依存しなくても、必要な燃料やプラスチックの原材料を作り出すことが可能な筈なのです。

 それでは、炭素(C)と水素(H2)を大量かつ安価に手に入れることは、果たして可能なのでしょうか。

 まず水素(H2)ですが、これは水(H2O)を電気分解すれば簡単に得られます。副産物の酸素(O2)は、大気中に放出すれば空気の清浄化に貢献することになるので、一石二鳥というべきでしょう。

 次は炭素(C)です。自然界に存在する炭素で大量にあるものとしては、固体では石炭、液体では石油でしょう。しかし石炭も石油もそれ自体が貴重な資源で、それらを手間暇かけて石油代替物の材料にすることは無意味としか思われません。(石炭を石油化する技術については、次回に触れたいと思います)

 すると気体を対象にするしかありませんが、炭酸ガス(CO2)ならば、現在の地球温暖化の元凶とされている程ですから、総量としては相当な量が存在しています。しかしこれは大気の量が莫大だからそうなるので、比率としては、CO2は大気中に0.034%存在するに過ぎません。従って大気の中から大量の炭酸ガスを得ようとすれば、大規模な設備と大きなコストを要することが、容易に想像できます。

 それで当時は、しょせんは空しい夢なのかと諦めていたのですが、今回の炭酸ガス吸収法を知って、新たな夢が膨らんだのです。炭酸ガスをある吸収液に吸着させて固定する技術そのものには目処がついており、問題はその炭酸ガスを目一杯吸い込んだ吸収液をいかに安全に、しかも低コストで保管するかが今後の課題だというではありませんか。

 コストを掛けてでも保管しようというのですから、「こちらで引き取ります」と言えば、渡りに船と話に乗ってくるに違いありません。つまり炭酸ガスの取得価格は、ゼロに近くできるわけです。

 飽和状態まで炭酸ガスを吸着した吸収液を過熱すれば、炭酸ガスはすぐに気化して回収できます。炭酸ガスが抜けた吸収液はそのまま再利用できる筈なので、これも無駄のないリサイクルということになります。

 こうして得られた大量の炭酸ガスを炭素と酸素に分解すれば、安価に炭素が得られることになります。副産物の酸素は、これも大気中に放出すればいいのです。植物は、光合成によって炭酸ガスの中の炭素を取り込んで固定化し、酸素を放出しているのですが、この炭素抽出法も炭酸ガスから炭素を固定し、酸素を放出しているわけで、このブラントはいわば巨大な森林と同じ効果を持っていることになります。

 こうして安価に、しかも大量に炭素と水素を手に入れることができれば、目的に応じて必要な化合物を作り出すのは、比較的容易なことのように思われます。

 何だか我ながらうますぎる話のような気もしますが、是非とも化学に詳しい方のご意見を拝聴したいものですね。



地球温暖化(9)

八ヶ岳
  まきば牧場(山梨県八ヶ岳)

 武田邦彦氏は、地球温暖化に対してマスコミの視点とはまったく違う切り口をする評論で、私などもいつも啓発されることが多い方です。その武田氏の本を読み返していて、今まで大変な見落としをしていたことに気が付きました。

 それは現在地球温暖化が大きな問題として取り上げられており、今回のサミットでも二酸化炭素(CO2)の大幅な削減目標(2050年までに50%減)が議題になると伝えられていますが、そこには大きな落とし穴があるというのです。

 現在のような石油依存の経済活動を続けていけば、地球温暖化がさらに急速に進んでしまうので、今後は大幅な二酸化炭素の排出削減が必要だというのが、現在の世界的な共通認識となっています。つまりそこには、少なくても2050年までは石油の大量消費が続けられるというのが、大前提になっているわけです。

 ところが武田氏の指摘によれば、そのずっと以前に石油資源が枯渇してしまうのだから、地峡温暖化などは深刻化しない、それより今心配すべきなのは将来のエネルギー資源をどこに求めるかということだというのです。

 私が子供の頃から、石油はあと40年で無くなると言われていました。しかし実際には、石油資源の探査技術、掘削技術が年を追って進歩してきたために、10年たっても20年たっても、石油の埋蔵量は増えこそすれ、減ることはありませんでした。言ってみれば「石油が無くなる」というのは狼少年の叫びのようなもので、現実には近未来には起こり得ないものと私も思っていました。

 しかし武田氏の指摘では、新油田の発見が石油の消費量を上回っていたのは1985年頃までの話で、現在では新油田の発見は石油の消費量の増加に追いついておらず、その結果推定埋蔵量は毎年減り続けていて、このままでは2030年頃には枯渇してしまうとのことではありませんか。

 2030年といえば、僅か22年後のことです。しかも、石油資源が底をつくというのは、その時になって考えればいい問題ではありません。現在の社会生活にプラスチックは欠かせないものですが、そのプラスチックの原材料は石油なのです。エネルギー源は他に求められるにしても、プラスチックの原材料は現在の段階では石油の他にありません。

 そう考えれば、石油資源はエネルギー源として使うことは控えて、プラスチック原料として細く長く食いつなぐことが急務となります。つまり、石油に代わるエネルギー源を1日も早く実用化しなければ、我々の未来は無いのです。

 今日本の電力は火力、原子力、水力の3本立てですが、火力発電に重油が使えないとなると、石炭を液化して燃料とする方法が脚光を浴びる可能性があります。また日本人の原子力アレルギーも、これが見直しのいい機会かも知れません。

 またオイルサンド(きわめて粘性の高い鉱物質の油分を含む砂岩)、オイルシェール(きわめて粘性の高い鉱物質の油分を含む頁岩)から石油を作る技術も、既に注目されていると聞きます。これらは資源がカナダ(アルバータ州)、ベネズエラに偏っているのが難点ですが、それでも推定埋蔵量が石油換算5兆バレル以上はあるといいますから、今後もその開発から目が離せません。

 また日本周辺海域にはメタンハイドレート(天然ガスの主要成分であるメタンが低温高圧下で水に溶けたもの)が、日本が使う天然ガスの100年分は埋蔵されているという試算もあり、これからどうやって開発をしていくのか、注目されるところです。

 もちろん、自然のエネルギーを活用する太陽光発電、風力発電、地熱発電、潮汐発電なども、今後は大いに活用すべきだと思われます。しかもこれらは、一刻の猶予も許されない緊急の課題なのですから、国をあげての活発な議論を重ねて、早急に大方針を打ち出す必要があります。

 日本は現在でも世界でもっともエネルギー効率がいい国で、しかも世界に誇るべき新技術もたくさん持っています。全世界的に省エネの気運が盛り上がっている今こそ、世界に向けて高らかに脱石油をうたいあげ、リーダーシップをとるべき時なのです。すべての技術を公開し、先進国にも途上国にも温暖化を克服しつつ経済発展を可能にする道筋を指し示せば、そうした日本の姿勢は、全世界から感謝と尊敬の目で受け取られるに違いありません。

 しかし現実には、政局に一喜一憂するだけの自民党、自民党の足をひっばることだけに狂奔する民主党、いずれも政党あって国家なしの現状には、悲しくて涙が溢れる思いがします。



地球温暖化(10)

 
エカテリーナ宮殿3

エカテリーナ宮殿(サンクトペテルブルグ)

 8月30日に行われた衆院選挙において民主党が大勝し、鳩山代表は早速二酸化炭素(CO2)を20年までに90年比で25%削減するという大目標を打ち出して、論議を呼んでいます。

 

 それを実現する手段の1つとして、現在のガソリン・エンジンのクルマを、早期に電気自動車(以下EVと記)に置き換えていくことが念頭にあるようです。しかしこのことに、私は大きな疑問を持たざるを得ません。

 

 この問題には08.06.17にこのブログに載せた「地球温暖化(6)」で触れているのですが、以下にその要約を載せます。

 

 電気自動車は排気ガスを出しませんから、これだけをみれば理想の解決策のように思われます。しかし、それらを可能とする元のエネルギーにまで、考えが及んでいるのでしょうか。

 電気自動車を動かすには充電するための電気が必要ですが、その電気を作るには水力、原子力、火力の3つの方法があります。そのうち水力については、残念ながら日本国内にはもう適地に乏しく、大量の増設はまず望みがありません。
 そもそも日本は地形が急峻なために、大規模なダムを作ってもその割に貯水量は少ないという問題を抱えています。以前に聞いた話では、日本のすべてのダムの貯水量を合計しても、アメリカのフーバー・ダム1つのそれに及ばないということです。

 次は原子力ですが、日本が地震国であること、現在の国民の間に原子力アレルギーが激しいことを考えると、なかなか大幅な増設には踏み切れないと思われます。

 すると残るのは火力しかありませんが、火力発電のエネルギー効率は40%強で、これに送電ロス、充電ロス等を加えていくと、ガソリンを燃やして走る現在のガソリン・エンジン方式と、二酸化炭素の排出量ではほとんど差がありません。つまりは、電気自動車は二酸化炭素削減の手段にはならないのです。

 こうした問題に対処するには、従来の発電方式に頼らない発電、つまり太陽光発電、風力発電などを拡大していく政策を強力に推し進めない限りは、電気自動車はまことに残念ながら、クルマ社会が抱える問題の解決手段にはなりえないのが、実情ではないでしょうか。(引用終了)

 

 しかし、太陽光発電、風力発電にも大きな問題があります。それは少なくても現在の段階では、太陽光発電、風力発電とも、既存の発電方式に対してコスト的にはとても太刀打ちできないということです。

 政府は太陽光発電を推進するために、その発電コストに見合った価格で電力会社が引き取るように、指導を強めていく意向のようです。

 

 しかしコストの高い電力を引き取る電力会社にしてみれば、そのコストを電気料金に転嫁して回収する以外に方法がありません。つまり、太陽光発電、風力発電が普及すればする程、電気料金は高くなっていくのです。

 

 太陽光発電、風力発電の先進国であるドイツでは、この政策を強力に推進してきた結果、太陽光発電を設置する場所と資力のある富裕層だけが恩恵を受けて、一般大衆は高い電力料金に泣くというのはいかがなものかという声が強くなっています。その結果、太陽光発電による電力を高く買い取る方式を、取りやめざるを得なくなったと伝えられています。

 

 私には、そもそもEVが問題解決の鍵を握る存在とはとても思えません。というのは、現在実用化されているEVは、航続距離160キロ、最高速度120キロと伝えられているからです。これは宅配やコンビニの配送用のように、1日の航続距離が短く、高い最高速度を必要としない用途にしか使えないでしょう。

 

 私は仙台市(宮城県)に在住していた当時、神奈川県の自宅から仙台市泉区のマンションまで450キロを無給油で走破したことが何度もありました。これがEVならば途中で最低2回は充電しなければなりませんが、それには数時間は必要で、これではとても現在のガソリン・エンジンの車に競争力を持たないと言わざるを得ません。

 

 それでは、現実的な解決策はないのでしょうか。私は、ハイブリット車(以下HBと記)こそがその鍵を握っていると思っています。世間ではガソリン・エンジンを使っている以上HBはあくまでも過渡的なものとしてしか扱われていませんが、たとえばトヨタのプリウスなどはユーザー・レビューを見ても、30km/L位の実用燃費は珍しくなく、従って無給油で1、200キロメートル走ったという報告もあります。これは現在のガソリン・エンジン車が夢の目標としている数値を遥かにしのぐもので、技術の一つの到達点を示すものではないでしょうか。

 

 私の乗っているティーダはプリウスと同じ1,800CCですが、その燃費はプリウスの半分も行きません。従って現在のガソリン・エンジンの車をすべてHBに置き換えれば、ガソリンの消費量は半分以下に、従って二酸化炭素(CO2)の排出量も半分以下になるものと思われます。

 

 HBならば、現在のガソリンスタンドが利用できるので、新たなインフラ整備の必要もありません。

HBを地球温暖化対策の目玉とすることは、決して的外れな提案ではないと信じています。

 

ただしHBはリア・メタルを必要とするため、ある金属に関してはすでにトヨタの消費量が全世界の産出量の7割に達しているという情報もあり、それはそれで大きなネックとなる可能性はありますが。


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